ないない尽くしは辛いのよ
どうもこんにちは、シンです。
今回は、ものの見方について書いていきます。
「ある」と「ない」について
何かをもらった時や無くした時、喜んだり悲しんだりしますよね。
でも、当然人によって気持ちの浮き沈みの差は違うんですよ。
例えば、小学生が親に1000円もらったとします。
僕の場合なら激レアなことなので「やったー!!!」と歓喜してました。
かなり嬉しいんですよね。
ではこの場合はどうなるでしょう。
小学生が親に1000円もらいました。その隣で1つ上の中学生の兄ちゃんは10000円もらってました。
「なんで1歳違うだけで9000円違うんだよ?!!!」僕ならこうなります。
もらったのは同じ1000円なのに片方は歓喜して、もう一方は激怒です。
気持ちはわかりますが、これって不思議ですよね。
この時両者は「ある」と「ない」にそれぞれ着目してるんです。
いきなり1000円ももらえた~!と1000円もあるという考え方。
兄ちゃん10000円なのに俺1000円しかない…という1000円しかないという考え方。
こっちの考えが正しいとかはありません。
ただ、「1000円もある。」と思える生き方の方が楽しそうだし個人的には好きです。
そして残念ながら僕は「1000円しかない。」派でした^^;
「ない」ものに焦点を合わせ続けた少年時代
僕の家は周りに比べると貧乏でした。
料金未払いで電気とかケータイは結構よく止められていました。
「ガチャン」て外で音がするとテレビや電気が消えるんですよ。
それで外を見たら電気屋のおっちゃんが2、3人立ってるというね笑
ケータイも朝メールを送ろうと思ったら送れません^^;
今でこそ笑い話ですが、当時は本当に恥ずかしくて嫌でした。
高校までは進学させてくれたのですが、学費が払えないので奨学金をもらい授業料減免申請をしていました。
それなのになお、学校にかかる経費が払えなかったので、こそこそと先生に
「ちょっと待ってください。」と言いに行ってました。
周りの子はそんなことはなかったので、それが僕の中でものすごいコンプレックスになりました。
それがこじれたのか、「どうせ自分なんか価値のない人間なんだ」「自分は何にも持っていない」と
ないものばかりに焦点を合わせるようになっていました。
意外と「あった」。
でも、今振り返ると意外と持ってたんですよね。
学校に通うための自転車とか。学生服も着てました。体操服だってちゃんとあった。
高校も無事卒業できたし、家にも住んでた。ご飯もしっかりと食べてました。
余ったお金はなかったけど、しっかり人間としての生活は送ることができてました。
これってちゃんとあるじゃんって気づけたんですよ。
それに気づけた時にすごく気持ちが軽くなったんです。
だから、もし昔の僕みたいに「ない」に焦点を合わせて不幸街道まっしぐらな人が
この記事を読んでくれてるなら、今自分の周りに「ある」ものを見て「ある」ことを自覚してくれたら
いいなと思うんです。
まとめ
「ある」か「ない」か。それを決めているのは僕たちです。
同じものでも「ある」と感じれる人、「ない」と感じてしまう人がいますが
「ない」と思うとすごく切ない気持ちになります。
僕は「ない」ものを埋めようと、動けば動くほど苦しくなってしまいました。
でも、ちゃんと「ある」んだと気づけたことによって本当に楽になりました。
感じ方は、練習で結構変わっていくものだと体感しています。
どうせなら人生明るく楽しく生きていきたいと僕は思うし、周りの人もそうだったらいいなと思ってます。